2011年8月28日 (日)

小学生の思い出(席替えのこと)

前回のブログの内容はやはりボクにはちょっと重たすぎました。そんなわけで、今回は軽~いお話です。

高校のときの同級生にシンムラというやつがいます。しばらく前に同窓会で会った時、そのシンムラが、小学生の時の席替えのときについての話をしました。シンムラの話によると、その時の席替えは男子と女子のペアーであれば誰でもいいので自分たちで相手を選んで早い者勝ちで好きな場所に座っていいということだったそうです。シンムラは早速ニハシさんというすごくかわいい子に声をかけてみごとに成功して喜んでいたところ、先生にダメだといわれて、結局その子とは一緒には座れなかったのだとのことでした。ボクは、どうしてしてだめだって言われたのかとシンンムラに尋ねました。先生は、頭のいい子同士だからダメだと言ったのだそうです。

そこまで聞いて、ボクは「あれ~?なんか聞いたことがある話だぞぉ。」と思い始めました。てか、ボクその話知ってるな。そのときボクもそのクラスにいたぞ。よく考えてみれば、そういえばシンムラとは小学校、中学校、高校とずっと一緒じゃん。すっかり忘れてたけど…。確かシンムラとは小学校低学年で同じクラスだったことは覚えているけど、中学、高校のときにどうだったかは記憶にないぞ。でも、高校の同窓会で会うんだから少なくとも高3のときは同じクラスだったんだな。そうだ。その話思い出したぞぉ。てか、よく覚えてるぞぉ。

確かあれはサノ先生のときのことだから5年生のときです。(てことは高学年の時も同じクラスだったんだ。まったく記憶にねえぞ。)先生が席替えをすると言いました。席替えは小学生にとっては楽しみの一つです。ボクたちはすごく喜びました。ただ、どういう具合に席替えするのかという次の言葉が問題ではありました。自由に好きな人と座れるのか。それとも先生が決めた場所で決められた人と座るなければならないのか。男子同士で座れるのか、それとも女子と座らなければならないか、とかです。

その後先生が言い出したことはボクたちにちょっとした波紋を与えました。自分たちで自由に相手を選んで好きな場所に座ってもいいけど、ただし男同士や女同士はダメだというものです。今までに経験したことのない罰ゲームのような席替えで、ボクは嬉しさが吹き飛びました。ボクはとても女の子に声などかかけられません。他の男子も少なからずボクと同じように動揺していたようでした。ただ、シンムラだけは別でした。

みんな戸惑っていてまだ誰一人として行動すら起こしていないなかったときに、シンムラはイチ早く、というよりもむしろ瞬殺でクラス一のマドンナであるニハシさんをゲットして、早くも特等席である一番後ろの席に陣取って得意げにニコニコしていました。そのあまりにもの速さにクラスの男子全員が呆然…。いや、男子だけでなく女子もあ然…。う、う、…うらやましい性格なやつ。とてもボクにはまねできないことをあっさりとやり遂げていました。あ~あ、シンムラの爪の垢でも煎じて飲ませてもらいたいものです。しかし、シンムラのやつあんなにメチャクチャ嬉しそうな顔をしていてちょっとムカツク~。んっ?あれっ?ちょっと待てよ。ニハシさん嫌がってない?あれ~?明らかに嫌がってるぞぉ~。ははあ。さてはシンムラに強引に誘われておとなしいニハシさんは断れなかったんだなぁ。と、思ったとき、先生がたぶんそういうニハシさんの様子をを見かねて、そこの二人はダメだ、とニハシさんに助け舟を出しました。男子全員が先生に拍手喝さい(心の中で)しました。

シンムラ 「ええ~?なんでぇ~?先生、誰とでもいいって言ったじゃ~ん。」

こ、こ、こいつッ!つくづくうらやましい性格なやつ、先生に対してためグチじゃん。しかし、確かにシンムラの言う通り。いくらニハシさんを悪お代官シンムラ様から救う水戸黄門の役とはいえ、ルールは先生が言い出したことで、シンムラはちゃんとその先生のルールに従って行動しています。見たところ先生はこのシンムラの文句(ため口)でたじたじになってます。先生、頑張れ(男子全員の心の声)。

先生 「え、え~と、そこは頭のいい子同士だから…。頭のいい子同士はダメなんです。」

先生~、その説明はちょっと無理がありますよぉ、確かにシンムラは学級委員長、ニハシさんは副委員長ですが…。だって、今回のこの特殊な席替えは先生に何らかの考えがあってのことでしょう。でもその説明って、今回先生の考えていたその席替えの主旨と明らかに違ってるんじゃないですか?そいうことなら最初からそう言ってたはずだけど、最初ははそんなこと言ってなかったんだし。そんな後からとってつけたような説明ではシンムラも納得しないでしょう。先生、もっと頑張んなきゃだめだよぉ。って…、ええ~っ?シンムラっ、その説明に納得しちゃったの?シンムラってうらやましい性格だけど、そんなおめでたいやつだったんかい。

いや、でもちょっと待てよ。いくらシンムラがオメデタイやつでもこんなとってつけたような見え透いた説明にシンムラが納得するわけがないよなぁ。てことは、シンムラのやつはわかってて先生に一歩譲ったのかも…。思っていた以上にコイツできるやつなのかも…。

しかし、高校の同窓会でのシンムラの話からわかっってしまったのですが、どうやらシンムラは先生の説明にホントに納得していたのでした。ホントにシンムラっておめでたいやつだったんだ。

さて、ボクはそのときどうしていたかというと、まったく困り果てていました。普通の会話ならともかく、こんなことで女子に声をかける度胸なんてボクにはありません。ただうろちょろしていただけです。でも、たいていの男子はボクと同じでした。時々そういう男子と顔が会うとお互いに苦笑いを交わしました。そんなわけで、困っていたわりにはみんなもそうだからとそのときにはまだ結構余裕があり、それほどには慌ててはいませんでした。しかし、時間が過ぎるにつれチラホラとペアーがまとまり始めてきて、少しずつウロチョロしている人が少なくなってきました。予想外のその展開にボクはあせってきました。仕方ないので意を決してなんとか話しかけられる子でまだ座っていない子に一緒に座らない?と尋ねてみましたが、今別の人と決まっちゃったからと言われてしまいました。二人に声をかけて同じ返事を受けたところで、ボクはもう途方にくれてあきらめてしまいました。もうボクから話しかけられるような子は一人も残っていません。しかも二人に声をかけてダメだったことは「ねるとん紅鯨団」でゴメンナサイをくらった以上にボクにダメージを与えたのでした。

もう残っている人はかなり少なくなってきていました。ボクは途方にくれてあきらめていましたが、残りの人数が少なくなって来るととても惨めな気持ちになってきました。しかし、あせっても、情けないことですがもうボクにはどうすることもできません。そんなときです。Yさんという女の子が、一緒にすわらない?とボクに声をかけてきました。

Yさんは男子の中での嫌われ者でした。どこのクラスにもたぶん一人はいるといういわゆるジャイ子のような存在です。しかしそのときのYさんの笑顔は天使のようでした。ボクにとってはジャイ子のような存在でしかありませんでしたが、そのときから、ボクはYさんに対する認識が変わりました。といってもジャイ子ではなくなり普通の女の子のレベルに昇格したというだけのことですが。ただがさつて近寄りがたいと思っていたYさんは、実は(少なくともボクには)とてもやさしくて驚きました。

話は少し逸れますが、Yさんは前回のブログに登場した女の子Aととても仲のいい大親友でいつも一緒にいました。たしか阿部さんの誕生会(前回のブログ参照)にも女の子Aと一緒に参加していたはずです。記憶が定かではないのですが…。

さて、ボクはYさんのおかげで何とか窮地を救われました。何もできずに惨めに最後まで取り残されたときのことを考えただけでもゾッとしました。席替えが終わった後の休み時間は、みんな誰が誰と一緒に座っているかと興味津々でした。女の子AはYさんに誰と一緒に座わることになったか聞いています。(記憶は定かではないのですが、ひょっとしたら女の子Aは小学校の6年間ずっと同じクラスだったかも…?)Yさんはボクと一緒だと答えていましたが、女の子Aは「嘘だ、嘘だ!」と言って信じていませんでしたので、ボクが横から割り込んでホントだよ。と言ってあげました。

女の子Aはボクが言っても信じようとせず、何度もホントだと説明してやっとわかったようでしたが、なぜかすごく驚いていました。ボクはそんなに驚くほどのことかと不思議でした。

やっと信じた女の子Aは、その後Yさんに何かを盛んに「ずるい~ずるい~。」と訴えているようでしたが、Yさんはただニコニコしているだけでした。少し離れたところにいて話の脈絡がわからなかったボクは、その後、何をずるいって言われたのかとYさんに尋ねました。Yさんは「い~の、い~の。」と言って「えへへへ…。」と笑うだけです。そのYさんの答え方で、ボクは、アレッ?ひょっとしたらボクに関係したことだったのかな?と思いました。てことは…もしかして…女の子Aは…アレッ?と思いましたが、でも、もしボクが思っているようなことだったとしたら、女の子Aがボクに聞こえるような大声でYさんに「ずるい~ずるい~。」って叫ぶわけはないか…と、やっぱりそんなことはないなと思いなおしたのでした。

話は高校の同窓会の話に戻ります。実はボクは柄に似合わず同窓会の幹事をやったことがあるんです。成り行きでやむを得ずだったんですけどね。同窓会ってのは、たいてい酒好きな男ばかりが集まってあまり酒を飲まない女子の参加は少ないものです。でも女子の参加が少ないとつまらないので、できるだけ女子が参加し易いようにボクはずいぶんと気をつかったのでした。実はそういう考えの裏にはシンムラのことが脳裏にあったのです。シンムラはいつも女子のことばかり気にしていましたから。

そのシンムラは、その後、同窓会で再会した女子たちに声をかけて時々プライベートで会っているというようなことを言ったので、ボクはすごく驚きました。てか、同窓会に多くの女子に参加してもらえるように努力していたボクはいったい何だったんだろう?シンムラ、オメ~のためでもあったんだったんだけど、それは同窓会のことでだぞぉ。オメ~個人のために一生懸命やったんじゃないだからな。マジに結構一生懸命になって幹事をやっていたボクは、なんだかもうアホらしくなって来ちゃいました。

でも変わんねぇなぁ、シンムラは。全然変わってね~じゃん、小学生のあのときから。

ボクはどうなんだろう?

シンムラ同様に全然変わってないんだろうか。自分ではあの小学生のころからはずいぶんと成長したつもりでいたけど…。

たぶん変わってないんだろうなぁ(ため息)。

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2011年4月13日 (水)

キミに届け

ブログに書く気がなかったどころか、誰かに語るつもりさえまったくなかったことを書こうと思ようになったのは、多部未華子や三浦春馬を主人公にした実写版の「君に届け」という映画(のDVD)を見たためです。それでもずいぶんと迷いましたが、書こうと意を決しました。前回のブログにちょっとだけ登場した阿部さんについてのお話です。

阿部さんは、小学校4年生の時にボクのクラスに転校してきました。自衛官のお父さんの異動ためでした。先生に紹介されてみんなの前で挨拶をしたときから、阿部さんの笑顔がとても気になりました。そして意識するにつれて、どんどん阿部さんのことが気になり出しました。たぶん、これが一目惚れってやつです。

阿部さんは、落ち着いた雰囲気がある、しっかりした女の子で委員長タイプの子でした。目の覚めるような美人というわけではありませんが、かわいい子で、ドラエモンに出てくるしずかちゃんのような印象の子でした。落ち着いていて大人びた物腰には、成海璃子のような雰囲気もありました。

阿部さんが転入してきてしばらくたってからのことです。帰りの会が終わって、ボクが帰り仕度のために教科書をランドセルにしまっていると、阿部さんがボクの前に来て、ボクにこう言いました。
「私、今日、お母さんに遊んでいいって言われたから、学校が終わったら一緒に遊ばない?」

たぶん阿部さんは、転入したばかりなので、それまでお稽古事の入会手続きなどの様々な手続きなどに連れまわされて忙しく、遊ぶ暇がなかったのだと思います。そういうことが一段落してやっと遊んでもいいと許可が出たのでしょう。阿部さんの言葉からはそのような感じを受けました。それにしてもなぜボクなんだ?と、阿部さんに誘われた嬉しさよりも、そちらの驚きの方が勝っていました。

(ボクにとって)特別な阿部さんとは違い、ボクは何のとりえもないただの一人の男子です。その特別な阿部さんが、どうしてボクを誘ったのかと思うと、実のところ嬉しさよりも驚きと不安の方が大きかったように思います。

また、笑顔でさらっと言い放った(とボクは思った)阿部さんの落ち着いた堂々とした誘いの態度には、感心してしまいました。今から考えると阿部さんも多少は緊張していたのかも知れません。しかし、ボクにはまったくそのようには見えませんでした。むしろ、ボクの方の狼狽の方がその何十倍も表情に表われていたことと思います。まったく情けない話ですが、ボクにはそういうことはまったくダメです。まず、こういうことを女の子に言う勇気がありません。ですから、ボクから声を掛けるなんてことは100%あり得ないことですが、たとえ「清水の舞台から飛び降りる」つもりで言ってみたとしても、ド下手な大根役者のセリフよりもさらに数倍は不自然な言い方になってしまうことでしょう。どうして阿部さんにはこういうことが平然とできるんだろうと思った時に、ひょっとしたら阿部さんには、阿部さんに対するボクの気持ちがわかっていたんじゃあないかとも思いました。そうでなければ、こんな勇気のいる行動ができるはずがないじゃないか。どうしてわかったんだろうか?と不思議に思いました。ボクの心が読めるのだろうかと真剣に考えました。しかし、当時のボクには理解できませんでしたが、当然それは違うと今はわかります。それは、度胸のない情けない自分のことを基準にしていたからそう思うのであって、実は阿部さんは、ボクとは違って堂々とした人だったということです。いや、むしろボクがあまりにも意気地のない情けない人だったという方が正解でしょう。

ボクは二つ返事でOKしました。たぶん屈託のない声で、「うん、いいよ。」と言ったはずです。

当時は、西岸良平が描いた「三丁目の夕日」の時代です。当然、レディ・ファーストなんて言葉もない時代です。いや、あったかも知れませんが少なくともボクは全然知りませんでした。しかし阿部さんはボクにとっては特別なお姫様でした。ですから、ボクの方が阿部さんのところに出向いていくのということは当然のことでした。しかし、ボクは阿部さんの家を知りません。話を聞くと阿部さんの家は商業高校の方だと言います。それで、その商業高校の正門のところで待ち合わせをして、阿部さんの家を教えてもらうことにしました。

ボクは急いで待ち合わせ場所まで行きました。阿部さんはまだ来ていないだろうと思っていました。案の定、阿部さんの姿は見えません。ボクは校内に入って、外から来る阿部さんを待って正門の方を見ていました。しかし、しばらく待っていると阿部さんは正門の方からではなく、学校の内側からブラブラと歩いて来るのが見えました。ボクよりも先に来ていた阿部さんは、ボクを校内に探していたのだそうです。驚きました。しかも阿部さんはすでに私服に着替えてありました。(ボクの小学校ではなぜか女子だけは全員制服を着ていました。男子は私服でしたが、女子は確か制服での登校を義務づけられていたはずです。)

楽しいデート(?)でした。最初、ボクは阿部さんと何を話したらいいのかわかりませんでしたが、ボクのそのような気配を感じたのか、阿部さんの方がいろいろと話しかけてきてくれてボクが返事をするという具合でした。

はじめ、阿部さんはボクのことを苗字で○○君と呼んででいましたが、いつの間にか○○○○君とボクの名前で呼ぶようになっていました。阿部さんの声で「○○君」と呼びかけられること自体でもボクには心をくすぐられるように感じていたのですが、それがさらに○○○○君と名前で呼ばれると、なんだか阿部さんとの距離がさらに縮まったように思えて、とても心をくすぐられる思いでした。

その後も、何度か一緒に遊びました。大抵の時には、忙しい阿部さんが遊べるときにボクを誘いました。実際、阿部さんはほとんど毎日勉強や稽古事で忙しくて阿部さんが遊べる日はあまり多くありませんでした。一方、稽古事なんぞは一切拒否して、学校から帰るやいなや玄関にランドセルを放り投げて鉄砲玉のように遊びに出かけるボクの方は、毎日遊べました。ボクは阿部さんが誘ってくれるのを毎日心待ちにしていました。阿部さんの稽古事は変則的だったようで、遊べる曜日はその時によって違っていました。それで、ボクの方から「今日は遊べる?」と聞くこともよくありました。

あるとき、ボクが「今日は遊べるの?」と阿部さんに聞いたときに、阿部さんは「今日は習字(の塾」)に行かなければいけないけど、それまでには少しだけ時間があるからそれまでなら遊べるよ。」と言ってくれたことがありました。ボクは、忙しい阿部さんがボクのために時間を裂いてくれて嬉しく思いました。30分ぐらいだったと思います。阿部さんの家の庭で遊んだところで、阿部さんのお母さんがもう時間だと教えてくれました。阿部さんとサヨナラをしてもう帰らなければならないのかぁと思ったときです。阿部さんは「そこまで一緒に行く?」と聞き、ボクは「ウン、行く。」と答えました。そのような少しの時間でも一緒にいたいと思い、阿部さんも同じように思っているのだろうかと思いました。それとも、やはり阿部さんにはボクの気持ちがよくわかるのかなぁとも思いました。

遠足はグループを作って行動することになっていました。男子は男子だけでグループを作り、女子は女子だけでグループを作りましたので、残念ながらボクと阿部さんは別グループでした。遠足には、各バスに一人ずつ父兄の代表が参加していました。たまたまそのときの遠足ではボクの母がその代表の一人で、それを知らなかったボクは、母が遠足に参加しているのにビックリしました。幸い母は、ボクとは別のバスに乗ったのでボクはホッとしました。現地に着いても父兄は父兄同士で集まっているので、母はいてもいなくてもまったくボクには関係なく、ボクは母がいる遠足をそれほど窮屈には感じませんでした。ふと、母がカメラを持っているのに気がつきました。

ボクは、「貸して、貸して。」と言い、しぶる母から無理やりカメラを奪い取りました。ボクは友達を見つけてはパチパチとスナップ写真を撮りまくりましたが、ふと思いついて阿部さんを探しました。阿部さんはグループの女子たちと大縄跳びをして遊んでいましたが、「写真を撮るから。」と、そこから阿部さんを連れ出そうとしました。みんなと遊んでいた阿部さんはちょっと戸惑っていましたが、「すぐに終わるから。」というボクの説明を了解して輪から抜け出してくれました。

できあがった阿部さんの写真を見て、母が「この子誰?」と聞きました。ボクは「阿部さんだよ。」と答えましたが、母は「かわいい子だね。」と言っただけで、それ以上は聞きませんでした。母はボクが時々阿部さんと遊んでいることは知らないはずでした。ボクの阿部さんに対する気持ちも知らないはずです。でも、阿部さんがかわいいと言われてボクは嬉しくなりました。

写真はみんなに配らなければいけませんので、学校に持っていくと、ある女の子(以下「女の子A」)が「どうして阿部さんの写真があるの?」と聞きました。ボクはちょっとうろたえました。そういえばみんなの写真は遊んでいるところのスナップ写真なのに、阿部さんのだけは一人だけのポートレイト写真です。ボクは「撮ってって言ったから撮ったんだよ。」と答えましたが、それはまるっきりの嘘でもありませんでした。だって、撮るってことを拒否しなかったんだから「撮って。」って言ったのと同じですよ。ちょっと無理がありますが、ボクはまじめにそのようにこじつけて自分に対しての言い訳としました。

女の子Aは、「なんで私は撮ってくれなかったのよ?」と言いました。ボクが「えっ?○○さんも撮って欲しかったの?」と聞くと、「撮って欲しかったよぉ。」と答えました。ボクは「言ってくれれば撮ったのに。」と答えました。確かに言ってくれれば撮ったことは間違いありません。でも、実のところ、阿部さんの写真は言われなくてもボクの方からわざわざ探して撮ったものでした。何とかかろうじてその場は切り抜けましたが、たぶん女の子Aの様子からすると、後で阿部さんに事実関係を確認することだろうと思いました。阿部さんに聞かれればボクの嘘もバレるかも知れないので、その場合、阿部さんがどのように答えるかちょっと気になりました。しかし、女の子Aにボクの嘘がバレるということよりも、どちらかというと阿部さんがボクの嘘をどう思うかということの方が気になりました。でも、考えても仕方がないから、まあいいかと気持ちを切り替えるように努めました。このことについては、その後、阿部さんからは何も聞いていませんし、たボクからも阿部さんには何も言いませんでした。女の子Aも、その後何も言いませんでしたが、たぶん女の子Aには少なくとも阿部さんとボクの関係は知れたものだと思います。ボクは、誰もこの件についてのボクの嘘について話題にしないことが不思議でしたが、何事もなく終わりホッとしました。

学校では、あまり親しく阿部さんと話すことはありませんでした。二人の関係を隠していたとかいうことではありません。ボクはただ単にみんなのいるところで阿部さんと親しくしているのを見られるのが恥ずかしかっただけです。だからといってまったく話をしないというわけでもなく、ごく普通に話はしていました。阿部さんも学校では同じような態度でした。たぶんボクと阿部さんは、みんなからは何の関係もないただのクラスメートか、ひょっとしたら、ちょっとだけ仲のいい友達のように見えたのではないかと思います。この辺のところは、別に何の打ち合わせもしたわけではなかったのですが、ボクと阿部さんの息はピッタリと合っていました。阿部さんとは、その他の面でも妙に息があうことが多かったように思います。

阿部さんの誕生会に誘われました。父兄の許可があった場合のみという条件付きでした。ボクには誕生会というもの自体が初耳でした。我が家では、家族で誕生日に祝うということすらしていませんでした。母から参加してもいいとの許可がでました。

誕生会には、ボクのほかにもう一人男子が来ていました。スギムラ君というボクとも結構仲のいい男子です。ボク以外の男子がいるということを意外に思いましたが、スギムラ君なら安全パイかと、自分のことを棚に上げてそう思い納得しました。実際のところ、阿部さんがスギムラ君をどう思っていたかはよくわかりませんが、スギムラ君の方は阿部さんのことを特別どうのこうの思っているような態度には見えませんでした。

女の子は3人ほどいました。なぜか女の子Aも参加していました。他の女の子は確か女の子Aと仲のいい子たちだったはずですが、はっきりとは思い出せません。阿部さんは途中から転入してきたせいか、ボク以外には特別に仲がいいというような子はいないように見えましたので、どうしてこれらの子達がいるのかとちょっと不思議に思いました。

誕生会にボク以外の人が来るとボクが知ったのは、なぜか誕生会の直前のことでした。確か、阿部さんは「言ってなかったけど、別の人たちも呼んでるから。」というような言い方をしました。阿部さんにとっては、誕生会に大勢の人を呼ぶのは当然のことで、わざわざ言う必要もなかったということだったのかも知れません。しかし、そのときまで呼ばれていたのはボクだけだと思っていたボクは少し驚きました。どうして他の人も呼んでいるのなら最初からそうだと言ってくれなかったんだろうかと。もしかしたら、最初はボクだけを呼ぶつもりだったのが、何らかの理由で他の人も呼ぶようになったのかも知れません。でも、そんなことはボクにはどうでもよかったのです。

阿部さんが、ボクを誕生会に招待したときに、「でも、親の許可がないとダメなんだって。」と言ったときの阿部さんの不満そうな口調と、ボクが許可をもらえない場合のことを思う阿部さんの不安そうな表情を、ボクはよく覚えていました。そして、翌日さっそく母の許可を得て、「誕生会、行くよ。」と阿部さんに返事をしたときにも、阿部さんはなおも「でも、親の許可がないとダメなんだよ。」と顔を曇らせました。しかし、ボクが「いいって言ったよ。」と許可をもらったことを伝えると、「本当?」と、そんなに早くあっさりと許可が出たとは信じられないというような表情をしました。「本当だよ。」とボクが声を弾ませて答えた時の阿部さんのとても嬉しそうな表情は、今なおボクの目に焼きついています。阿部さんは、ボク以外の人たちには絶対にこのような表情は見せていないだろうと思います。それは確信していました。ですから、どういう経緯でみんなを呼ぶようになったかはわかりませんが、どんな経緯だったにせよ、たぶん阿部さんにとってはボクだけは特別なんだと思っていました。ボクはむしろ他の人たちも来ることがわかり少し気が楽になりました。実は、誕生会に参加するという大きな嬉しさの陰には、単独で阿部さんの家の誕生会に乗り込むことへの不安が少しあったからです。

みんなは阿部さんへの誕生日プレゼントを持参して来ていましたが、そういうものだとは知らなかったボクは何も持って来ていなくて、ずいぶんとうろたえました。ボクは今度持ってくると言いましたが、阿部さんや安部さんのお母さんは、一人だけプレゼントを持参してこなかったことをとても気にしていたボクのことを哀れに思ったのでしょう。「いいから。いいから。」と何も持って来なくてもいいよと言われて、ボクはそうなのかと納得してしまい、結局、その後も誕生日プレゼントを渡すことはありませんでした。今から考えると、なんて単純な馬鹿だったんだろうと思いますが、実は今でもボクはこういうことには結構疎いんですよね。

阿部さんは、長い髪の毛を三つ編みにして左右に垂らしていました。そして、その三つ編みは背中側ではなく、いつも前側の方に垂れていました。ボクにはそれが不思議でした。阿部さんの三つ編みは、他の女の子のものよりもかなり太く、その三つ編みで阿部さんはとてもかわいく見えました。ところが、その長い髪は、どういうわけか誕生日の少し前にばっさりと切ってしまって、ボクはとてもビックリしました。ボクはどうして切ってしまったのかと尋ねましたが、阿部さんは、「別にたいした理由なんてないよ、別にどっちでもいいでしょ?」と聞き返しました。ボクは短い髪の毛も似合うよなんていうような気の効いたセリフが言える年齢ではありませんでしたので、たぶん正直に長い髪の方が好きだったと答えたんだろうと思います。阿部さんは髪の毛なんて別にたいした問題じゃあないと言うような感じの口調でした。

ところが、阿部さんは、切ったその長い髪の毛を束ねて、とても大切なもののように箱に入れて大事にしまってありました。誕生会の途中に、阿部さんは突然、「そうだ。忘れてた。みんなに見せようと思っていたんだっけ。」と言い、その髪の毛をみんなに見せてくれました。そして、みんなに「欲しい?」と聞きました。阿部さんはどうしていつもボクの気持ちがわかるのでしょう。阿部さんの言う「みんな」とは「ボク」のことを言っているのではないかとさえ思われました。欲しいと答えたのはボクだけでした。阿部さんは、大切そうに1本取り出して、もっと欲しいかと尋ねましたが、ボクには1本で充分でした。阿部さんにとって大切だった髪の毛の1本は、その後ボクによってもっと大切なものとして扱われました。

その誕生会で生まれて始めていちごミルクを食べました。我が家では、いちごには練乳というミルクをつけて食べていました。砂糖の入った牛乳にいちごを浸して食べるという食べ方は、ボクには珍しく、ちょっと戸惑いました。しかも、阿部さんは、いちごをスプーンの裏でつぶして食べるんだと教えてくれましたが、ボクがそれをやろうとすると器からいちごが飛び出してしまい、うまくできませんでした。それでも四苦八苦して(まずスプーンで縦に半分に割ってから潰すというコツを発見し)ちょっとだけつぶして見ましたが、白い牛乳にグジュ~ッ!と赤い果汁がにじみ出て、しかもグニュグニュになっってしまったいちごを食べるのは、ボクは視覚的にも食感的にも好きになれませんでした。それで、そのままのいちごと牛乳をスプーンですくって食べましたが、そうすると牛乳ばかりが残ってしまいました。しかし、味はとてもおいしかったので、それ以後ボクは、我が家でもいちごを食べる時にはいつもいちごミルクになりました。ただ、つぶすのはイヤでしたし、つぶさないで食べると牛乳が余ってしまいますので、できるだけ薄くいちごをスライスするようにと母に注文を出して母からウザがられました。

誕生会の後にもよく阿部さんと遊びましたが、ボクは、阿部さんのお母さんのボクに対する態度ががちょっと不自然なことに気が付いていました。女の子の友達は阿部さんしかいませんでしたが、ボクの友達のお母さんはみんなボクに親しげに話しかけてきました。しかし、阿部さんのお母さんは、意識的にボクのことを避けているようでした。娘のボーフレンドとして意識されているのかも知れないと思いましたが、もしかしたらボクは好かれていないのかも知れないとも思いました。しかし、阿部さんはそのようなお母さんを一向に気にしていない様子で、ボクと遊びながらも気軽にお母さんにも話しかけたりもしています。そこには完全に阿部さんの世界があり、阿部さんのお母さんは、それを黙って外から見守っているという感じでした。ボクは阿部さんの満面の笑顔をみて安心し、阿部さんの世界に溶け込んで一緒に遊びました。何かをして遊んだという記憶はありません。ただ、一緒にいるだけで楽しく、幸せな気分でした。阿部さんのその笑顔と楽しそうな様子から、阿部さんも同じように感じていると思いました。

阿部さんが忙しくて、あまりしょちゅうは遊べないということもそれほどには苦ではなく、ボクにとってはとても満ち足りていた時でした。ボクには毎日遊ぶ男子の悪ガキはいくらでもいました。阿部さんとの約束があるときだけ、その悪ガキたちには「今日は遊べない。」と言いました。悪ガキたちは不満を表しましたが、ボクは用事があるからとだけ言って、急いで阿部さんのところに駆けつけました。今から思い起こすと夢のようなときだったように思えます。しかし、徐々に阿部さんと会える日が減っていき、そのうちにまったく阿部さんに誘われなくなりました。そのことを阿部さんに問うと、阿部さんは「お母さんに遊んじゃあいけないって言われたから。」と言いました。ボクはその言葉を、阿部さんは忙しくなりすぎて、ついにボクと遊ぶ時間がまったくなくなってしまったのだと理解しましたが、その言葉の裏には、もっと恐ろしいことがあるかも知れないと思わずにはいられませんでした。つまりボクはついに阿部さんに振られてしまったのではないかということです。しかし、阿部さんの態度は変わったようには見えず、相変わらずボクにやさしく、そうとは思えませんでした。

もう一つの可能性も考えました。本当は忙しくなったからなのではなく、時間はあるのだけどボクと遊ぶことを禁止されてしまったという可能性です。これは、最初に阿部さんに誘われたときから、ボクに付きまとっていた不安でした。何しろお姫様がただの一般庶民のボクとお付き合いしているのですから、そのうちに親から禁止されるのがオチだと思っていたからです。阿部さんのお母さんの不自然な態度も脳裏にちらつきました。

当時には理解できませんでしたが、確か阿部さんは、成績が下がったからもう遊んではいけないと言われたというようなことも言っていました。だいたいボクは小学校の時に勉強などした記憶がありません。ボクの親は、ボクの成績がどうであろうとまったく問題にしませんでした。たぶん遊んでばかりいてまったく勉強をしないボクには何を言っても無駄だと思ったのでしょう。そのかわり、中学に入ったら勉強しなければいけないということはしつこく言い聞かせられていました。それで、成績がどうであろうとまったく勉強をしなかったボクには、成績が下がったから遊んではいけないということがまったく理解できませんでした。ちなみに、ボクは、中学に入ったら勉強しなければいけないと洗脳されてしまっていたせいか、中学に入ってからは仕方なく自主的に勉強をするようになり、その後も親から「勉強をしなさい。」と言われたことは1度もありませんでした。

それ以後、まったく阿部さんとは遊べなくなりました。とても辛かったです。ボクは阿部さんの方ばかりを見ていました。時々目が会うと阿部さんは微笑みかけて来ましたが、ボクは笑えませんでした。下手に笑いかけようとすれば引きつった顔になったと思います。

ボクは阿部さんとボクの育ちの違いを感じました。もしかしたら男子と女子の違いなのかもしれません。阿部さんは親に「遊んではいけない。」と言われれば、その通りにします。ボクは親に何と言われようと親の言うことなんて無視して自分の好きなように行動します。阿部さんが、ボクと遊べなくなっても普段と同じように平気なように見えることにもボクとの違いを痛感しました。ボクは親から遊んではいけないといわれて遊ばないでいるなんて、とても我慢できません。結局は、阿部さんにとってボクは、親に言われれば遊ばなくっても構わないという程度のものだったんだと思うようになりました。

前回のブログに書いた、リコーダーのテストがあったのは、このような時でした。ですから、リコーダーのテストの後に阿部さんがボクのところまでやってきて話しかけてきた時には、実はボクはとても複雑な気持ちだったのです。

まもなく学年が変わり、5年生となりました。阿部さんとボクは別のクラスになりましたが、ボクには残念だと思う気持ちと、よかったと思う気持ちの両方の気持ちが入り混じっていました。阿部さんへの想いはまったく変わっていませんでしたが、阿部さんのことは早く忘れてこの苦しい気持ちから早く抜け出さなければならないと思っていたからです。しかし、クラスが変わっても阿部さんへの想いは変えられず、相変わらず悶々とした辛い日々を送っていました。その頃には、阿部さんとはただ時々下校時に見かける程度の関係になっていました。

しばらくして、女の子Aから、阿部さんがまた転校するという信じられない噂を耳にしました。嘘に違いないと思いましたが、それは嘘ではありませんでした。もう阿部さんに会えなくなってしまうという気持ちと、これで阿部さんのことを忘れることができるかも知れないという気持ちが交錯しました。

阿部さんがいなくなっても、ボクは阿部さんのことは忘れられず、心の中にぽっかりと穴が開いたように感じました。阿部さんがいなくなっとことによって、さらに辛さが増しました。阿部さんと楽しく過ごした時のことは何も思い浮かばず、その後の辛い気持ちのみが残りました。阿部さんの住んでいた家にも何回か行ってみましたが、そこは人気のない寂しい場所となってしまっていました。そして、その家にはやがて別の人が住み始め、そこは阿部さんの家ではなくなってしまいました。

しばらくして、阿部さんから手紙が届きました。生まれて初めてボク宛に来た手紙です。母は、「ちゃんと返事を書きなさいよ。」と言って渡してくれました。内容は「元気ですか。私は元気です。」みたいな内容のものでした。阿部さんから手紙が来たことはとても嬉しかったのですが、当たり障りのない内容でボクは少しがっかりしました。たぶん、同じような手紙を誕生会に来た人たちなどにも出したのだろうと思いました。

母は、「返事を書かなければいけない。」と言いいましたが、ボクは「イヤだ。書かない。」と言って書こうとしませんでした。母は、ボクが1度言い出したら聞かないことはわかっていたはずですが、なぜか時々しつこく書かなければいけないと言い張りました。ボクは頑なに書かないと言い張り、結局、とうとう返事は書きませんでした。いえ、正確に言えば「書かなかった」のではなく「書けなかった」のです。

阿部さんの手紙は、見たこともないようなかわいい封筒に、キレイな便箋でとてもキレイな字で書いてありました。ボクは、当時は封筒と言えば縦長の茶封筒しか見たことがありませんでした。しかし阿部さんの封筒はそれほど長細くない、白くきれいな小さな封筒で、今でこそそのような封筒は当たり前ですが、当時のボクには初めて見る珍しいものでした。ボクは便箋すら持っていませんでした。ノートの切れ端で、ボクのミミズののたくったような汚い字で、茶封筒に入れて阿部さんに手紙を出すのは恥ずかしいと思いました。

また、ボクは阿部さんに対する気持ちの整理もできていませんでした。阿部さんがボクのことをどう思っているのかもわからなくなってしまっていました。阿部さんが、ボクを単なる友達の一人にすぎないのと思っているのではないかと思う気持ちが大きくなっていたのです。いや、もしかしたら、阿部さんの気持ちは、もうまったくボクから離れてしまっているかも知れないとすら思っていました。手紙は、誕生会に来てくれた人全員に儀礼的に出したものだ、だからボクのところにも手紙が来たのだと。でも一方、もしかしたら、阿部さんがボクにとって特別な人であったように、ボクも阿部さんにとっての特別な人だったのかも知れないという希望もなおありました。阿部さんの手紙に、少しでもそれとわかることが書かれていたら……。しかし、阿部さんの手紙からは何も読み取るはできませんでした。やはり、阿部さんにはボクはその他大勢の一人に過ぎないに違いない。そのようないろいろな思いが交錯して、阿部さんに何と言って手紙を書いたらいいのかわからなくなってしまっていました。

今から思うとボクは大馬鹿でした。たとえ阿部さんの気持ちがどうであろうと、なぜ正直にボクの気持ちを阿部さんに届けなかったのだろうかと思います。ボクはうじうじとした小心者で、自分が傷つくことだけを恐れていました。まっすぐでおおらかな阿部さんと比べて、ボクはあまりにも小さ過ぎました。臆病者過ぎました。

大学受験が終わり、第一志望だった某有名大学に合格して東京に行くと決まったとき、ボクは東京に転校した阿部さんに会いに行きたいと思いました。阿部さんのことはまだなお心に残っていました。会うことによってどんな結果に終わるにしても、一度阿部さんに会ってボクの気持ちに踏ん切りをつけなければいけないと思いました。ボクは、誰に聞かれても一応恥ずかしくない大学に入学したことで、やっと阿部さんに追いつけたと感じていました。これで阿部さんに会いにいける立場になったと思いました。阿部さんの親も今のボクなら会ってはいけないとは言わないのではないかとも思いました。阿部さんがボクよりもさらに上のレベルまで行ってしまっているという可能性もあるとは思いましたが、その可能性は低いと思いました。なぜなら、中学、高校とボクは急成長していて、ボクの周りで、ボクよりもさらに上のレベルまで行った人はあまりいなかったからです。(あくまでも勉強の面についてのことで、人間的レベルのことではありませんので。)お父さんの仕事の関係で、転校を繰り返した阿部さんが、いまだに東京にいるとは限りませんでしたが、なぜかボクは東京にいると確信していました。

結局、ボクは阿部さんに会いには行きませんでした。阿部さんの住所がわからなかったのです。

今、ボクは阿部さんに手紙を書かなかったことを後悔しています。今のボクなら間違いなく手紙を書きます。今なら、どんな内容のどんな手紙でも恥ずかしいなどとは思いません。むしろ、自分のことよりも相手の気持ちを優先的に考えます。万一、阿部さんがボクからの手紙を心待ちにしていたとしたら……、もしボクが手紙を書かなかったら阿部さんはどう思うだろうかと。それだけ、今のボクには、小学生の頃のボクとは違って自分に自信があるようになったということなのかも知れません。

阿部さんがボクのことをどう思っていたにしろ、阿部さんのその気持ちはボクには届いてはいませんでした。いや、もしかしたら届いていたのに、あまりにも盲目的になってしまっていたボクにはわからなかっただけなのかも知れません。ボクの気持ちは阿部さんに届いていただろうか……。遊べなくなってからのボクは、ただ阿部さんを遠くから見つめているだけでした。辛く苦しい気持ちは心の中に封印していました。阿部さんの手紙に返事も書きませんでした。それでも、ボクよりも数段大人だった阿部さんには、ひょっとしたらボクの気持ちはわかっていたかも知れません。もしかしたら、ボクが手紙を書けないこともわかっていたかも知れません。ボクはそうであってほしいと願わずにはいられません。

今ボクは、阿部さんとの楽しかったときの方を思い出すようになりました。とても辛かったことは覚えていますが、その辛さは今はありません。それでも、その辛さは長いことずっとボクの中に存在していました。楽しかったときのことが思い出せないような重たい辛さでした。今、長い年月が辛さを忘れさせてくれたものだと思います。それと同時に、当時には理解できなかったことが、今、歳を重ねることによって理解できるようになったということもあるのではないかと思います。もしかしたら、重い重い辛さに耐えられなくて、年月が過ぎるにつれて、無意識のうちにボクの記憶が自分の都合のいいように塗り変わっているのかも知れません。その可能性はありえなくはありませんが、それならそれはそれでも構わないと思っています。なぜなら、今ボクの中に存在する記憶こそが、ボクにとっての真実であるからです。

最近になって、ボクは阿部さんもボクのことを特別な人だと思っていたののではないかと思うようになりました。以前のボクには、そんな自信はまったくありませんでした。いえ、今だってそんな自信は持ち合わせていませんよ。そうではなくて、阿部さんのことをよく考えてみたのです。きっかけは映画「ハナミズキ」でした。「ハナミズキ」は「君に届け」より少し前に見ていました。そこでの生田斗真の役の姿は、昔のボクとずいぶん重なり合い、彼の気持ちは痛いほどよくわかりました。見ていて涙が止まらなくなりました。と同時に、阿部さんも新垣結衣と重なり合いました。当時は理解できなかった阿部さんの態度が、新垣結衣と重ね合わせることによって理解できるように思いました。ボクの心の奥にわだかまっていた雪が溶けていくようでした。もちろん阿部さんが映画の中の新垣結衣と同じだったとは限りません。重なり合うのはボクの願望によるものなのかも知れません。その可能性は大きいとも思います。しかし、阿部さんのことを思い起こすと、そうだったと考えた方がボクにはより納得できました。ボクと一緒にいるときの阿部さんは、ボクに劣らず楽しそうでした。それは絶対に間違いありません。そんな安部さんが急に心変わりをしたと考える方がずっと不自然だと思えるようになりました。何のとりえもなさそうなボクなんかをどうして阿部さんが選んだのかはいまだに不思議に思います。しかし、世の中は広いのですから、そういうことも可能性としてはありえるでしょう。しかし、阿部さんがコロコロと心変わりをするなんてことこそありそうにもありません。「ハナミズキ」を見た後では特にそのように思えました。そして、そう思うと妙に納得できました。ボクは、ボクにそう思わせてくれた映画「ハナミズキ」に感謝したいと思います。そして、阿部さんのことをここに書く決心をつけさせてくれた映画「君に届け」にも感謝します。書くことでボクは一歩踏み出せたと感じています。

今なら言えます。阿部さん、楽しかった想い出をありがとう。

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2011年4月 2日 (土)

小学生の時のこと(リコーダーの思い出)

リコーダーは好きでした。初日の練習のときからすべての指使いも完璧にできましたし、音も低い音から高い音まですべてきれいに出すことができました。2通りの指使いがある「シ」の音も、どちらでもできました。先生はどちらの指使いでも構わないけど、左手の親指で穴をを半分だけ塞いで人差し指と薬指を押さえ、右手は人差し指を使う難しい方の指使いの方が本当は好ましいといような事を言ったので、ボクはそちらの指使いを使うことにしました。舌を使ってトゥー、トゥーと吹くタンギングという吹き方も何の問題もなくできました。ボクはうまくできることが得意で、嬉しくてたまりませんでした。

確か4年生の時のことです。リコーダーのテストがありました。先生は、「どうしようかな。男子から先にやろうかな。女子から先にやろうかな。」と言いました。男子は一斉に「女子から、女子から。」と叫び、女子は「男子から、男子から。」と叫びました。ボクはおとなしい性格でしたが、できるだけテストを後回しにして欲しいと心から望んでいましたので、もしかしたらみんなと一緒に「女子から、女子から。」と叫んでいたかも知れません。しかし、内心ではこういう時には、大抵、男子の方が犠牲になるとわかっていました。ですから、先生が散々「どうしようかなあ。どうしようかなあ。」と迷った挙句に、「ウ~ン、やっぱり女子からやることにしましょう。」と言った時には、女子たちのブーイングや男子たちの歓声に混じってボクも大歓声をあげていたに違いありません。しかし、実際に女子から始まってみると、ボクは、やっぱり男子からやってもらって早く済ませてしまった方がよかったと思い、やはり先生は男子を犠牲にしたのだと悟りました。

ボクはこういうことにはメチャクチャ緊張する方です。自分の番が終わるまでは、極度の緊張でみんなのテストをじっくり聞いている余裕などまったくありません。しかし、女子の大半はタンギングすらできていないことはわかりました。そして、アベさんの番になりました。アベさんは落ち着いた雰囲気のちょっと大人びた感じの委員長タイプの子で、とても親切でやさしい子でした。ボクの初恋の人です。

ボクは、アベさんの演奏を、自分のことのように緊張して聞きました。アベさんはゆっくりと、丁寧に慎重に、最後までミスなく吹き終わりました。緊張が音にあらわれていましたが、しっかりとタンギングを効かせた情感豊かな演奏は見事なものでした。明らかに他の女子たちとはレベルが違うと思いました。ピアノを習っている人は、ピアノ以外でも音楽の才能を発揮するのかと感心しました。先生は、クリップボードを片手に採点をしていて、演奏し終わった人全員に一言二言アドバイスや感想を述べていたのですが、アベさんの時には、黙ってクリップボードを脇に挟むと何も言わず笑顔で拍手をしました。みんなもそれにつられて拍手をしました。もちろんボクも心から拍手を送りました。

女子が終わり男子の番になるとボクの緊張はいっそう高まりました。2、3人前ぐらいの順番の時には心臓はドッキンドッキン鳴っていて、前の人の時には、呼吸が荒くなって酸素が足りなくなっていました。

心臓の高鳴りのために、出だしのところは音が震えました。緊張のために、いつものようにはのびのびとは演奏できませんでしたが、何とかミスなく無難に演奏し終えた時にはホッとして、座ったときには身体中の力が抜け身体が重くなりダルく感じました。

先生はちょっと変な顔をしていましたが、驚いたことに、黙って拍手をし始めました。ボクが本当に驚いていると、みんなも一斉に拍手をし始めてさらにビックリしました。アベさんの時よりも盛大な拍手のように聞こえたのは、たぶんボクの勘違いだと思います。あるいは拍手もすでに二人目でもうみんな要領がわかっていたのかも知れません。しかし、あの本当に上手だったアベさんと同じ扱いを受けたとうことは、すごく嬉しいことでした。リコーダーは好きでしたし下手だとは思っていませんんでしたが、アベさんと同じ扱いを受ける程ボクが上手だとは思ってもいませんでした。それに、まだまだアベさんにはかなわないとも思っていました。しかし、このことはすごくボクの自信にもなりました。何にもまして嬉しかったことは、誰にもマネのできないアベさんとボクの特別な関係ができたように思えたことでした。何しろ先生が拍手をしたのはボクたち二人だけだったのですから。

さらに驚いたことは、授業が終わった後に、アベさんがボクのところまで、
「○○君(ボクのことです)、本当に上手で私ビックリしちゃった。」
とわざわざ言いに来たことです。アベさんに話かけられたことに驚いたのではありません。アベさんは誰にでも気軽に話しかけるような気さくな人ですから。ボクが驚いたのは、あれほど上手だったアベさんに、ボクが上手だと言われたことです。ボクは、本心からアベさんの方が上手だと思っていました。何しろアベさんの演奏は本当に見事だったのですから。それでボクは、
「ボクの方こそ、アベさんが本当に上手なんでビックリしちゃったよ。」
と言ったのですが、この言葉が、ほめられたので社交辞令として行なった返事のように聞こえてしまったように思えて、ボクはイヤになりました。ボクは本心からアベさんの方がじょうずだと思っていたのに……。こういうことは、先に言った者勝ちだと悟りましたが、残念ながら、ボクは、ボクの方からこのようなことをアベさんに言いに行くような度胸は持ち合わせていません。実は、このあたりにはちょっとした複雑な事情もあるのですが、その事情は言えません。

それから、しばらくの間お互いに相手の方が上手だという譲り合いになりました。ボクは、明らかにボクよりも上手なアベさんが、どうしてボクの方が上手だと言い張るのか理解できませんでした。でも考えてみれば、ボクだって自分の演奏がどれぐらいのものなのかは自分では理解できていませんでした。だったらアベさんも、自分がボクよりも上手だということをたぶん理解できていないのだろうということで、ボクの中では一応決着しました。可能性の問題として、その逆のこともありえるということも思い浮かびはしましたが、それはないと確信していました。

ボクは低学年の頃から音楽の成績はいいほうでしたが、これが自分ではまったく理解できていませんでした。まあ、いい成績をつけてくれてるんですから全然文句はないんですが。しかし、アベさんのようにピアノを習っていたわけではありませんし、流行歌も含めて音楽とは縁のない子供でした。友達に歌ばっかり歌ってると指摘されたことはありますが、ボクにはその意識はなく、そう言われればそうなのかなあという程度のものです。音楽という科目も嫌いで特別に得意だったわけでもありません。むしろ音楽の授業は女の子のままごとのような科目のように思えて、ボクは苦手な方でした。ですから、いったい先生はどこに目をつけてるんだろう、と先生のつける成績のいい加減さにあきれていたものです。

しかし、このリコーダーのテストをきっかけに、ひょっとしたらボクって本当に音楽ができるのかも……?と思いはじめました。先生もいいかげんに成績をつけていたのではなくて、先生にはそれがわかっていたのかなあ……と。それにしても、もしそうだったにしたら、先生にはどうしてそれがわかったんだろうかと不思議でなりません。だって、テストだってめったになかったはずです。ボクの記憶している音楽のテストはカスタネットとこのリコーダーだけでした。もしかしたら先生ってのはただモンじゃあないんだろうかとも思いました。

しかし、それがやっぱり勘違いだということは、後で判明しました。長くなって疲れたので、その件については機会があったらまた書こうと思ってます。

(つづく……たぶん……気が向いたら……。)

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2011年3月26日 (土)

小学生の時のこと(カスタネットの思い出)

カスタネットが苦手でした。なぜか、どうしてもうまくたたくことができません。みんなはどうだろうか。ボクと同じ様にうまくたたくことができない人はどれぐらいいるのだろうかと周りを見渡してみたのですが、みんなは自信たっぷりにたたいていて、ボクのようにうまくたたけなくて戸惑っている様子の人は一人もいませんでした。これにはちょっと狼狽しました。ボクのような同類が何人かいて、その人たちもボクと同じ様に周りをキョロキョロと気にしていて、その何人かとは必ず目が合うだろうと期待していたからです。何人かでもカスタネットがうまくたたけないという同類がいれば、ちょっとは気が休まるってもんです。で、コイツだけは絶対うまくできないだろうと思ったヤツの方を覗いてみましたが、ソイツも平然とカスタネットをたたいていました。どうやら、カスタネットがうまくできないのはボクだけのようでした。これはかなりショックでした。アイツでさえもできるのか……。ボクだけができないのか……。

その日、家に帰り、ソッコーでカスタネットを取り出して、いったい何が悪いのかと探ることにしました。指にはめるゴムの位置をかえてみたり、持ち方を変えたり、たたくスピードや、角度を変えたりと、思いつくことは何でも試してみました。

何度もやっているうちに、問題点は1つだけではな、2つあることが判明しました。1つ目は、ボクのたたくカスタネットはカン!カン!と音が鳴らないで、カコン、カコンと鳴るということでした。これはすでに学校で判明していた問題点です。しかし、たぶんその問題点が大きかったために学校では気が付かなかったのだと思うのですが、家でやってみて、もう1つ、カスタネットの音が鳴るのが自分の意図したときとは少しずれているということも判明しました。これらがどうしてもうまく解決できなかったのですが、そのうちに、ふと1つのことに気が付きました。そういえば、学校で見たみんなのカスタネットはボクのよりも開いている角度が小さかったと思いだしたのです。たしかみんなのは、45度~60度ぐらいの開き方でした。ボクのカスタネットは90度以上開いています。

それでボクは母に直してくれと頼みました。しかし、母には「できないからそのままで我慢しなさい。」と言われました。我慢ができないボクは自分で直すことにしました。実は、ボクはそのとき、蝶々結びができなかったのです。弁解のために言いますが、『できなかった』というのは、いくらやろうとしてみてもできなかったと言う意味ではなく、まだ結び方を覚えていなかったということです。ボクは蝶々結びは女の子の結び方だと思っていました。で、紐を結ぶときにはボクは男らしくいつもカタ結び。

カスタネットのゴムひもをカタ結びにするのは見た目を考えてもちょっとどうかとも思いましたが、できないんだからしょうがありません。60度ぐらいにしてみたところ、カコンカコンという音は、見事にカン!カン!という音に変わりました。ヤッター!このときには、よくぞみんなのカスタネットの角度が違っていたということを思い出したものだとワレながら感心したものです。でも、前ほどではなくなりましたが、やはり意図したときとと違うときに音が鳴るというタイムラグは依然としてありました。角度を調節したことでタイムラグが少し改善しましたので、カスタネットの開き方が小さければ小さいほどタイムラグも少なくなるとわかりました。それで、さらに開き方を目いっぱい(たぶん5度ぐらいまで)小さくしてみました。こうすると確かにタイムラグは少なくなくなるのですが、その代わり、カスタネットはカッカッとスタッカートをかけたような短く小さい音になってしまい、威勢良くカン!カン!とは響かなくなってしまいました。タイムラグと音の響きの兼ね合いの調整で何度も何度もやり直した末に、やはり最初の60度程度がいちばんいいと判断しました。タイムラグの問題は解決できませんでしたが、次回の音楽のときにみんながどうやってるかを観察して解決しようと思ったのでした。(今、このように書いていて、自分のことながら「変わってないないなぁ。」と思ってしまいます。ていうか、ボクは小学1~2年のころからすでにこんなんだったんかい!)

観察をする人はあらかじめ目星をつけておきました。よく見える位置にいるカスタネットがじょうずそうな女の子です。じっくり観察したのですが、どうしても特別なコツのようなものは見つけられませんでした。それで別の人も観察してみましたが、やはり特別なコツがあるようには見えず、どうやったらうまくできるかはわからないままでした。つまり、結局はボクの音感がみんなより劣っているということだという結論に達したわけです。音楽とはまったく縁がなさそうな何人かの悪ガキの顔を眺めて、(アイツらよりもボクの方が劣っているのかぁ。)と思うと自己嫌悪に陥りました。

あるとき先生が、翌日にカスタネットのテストをやると宣言しました。確か2年生の時です。(1年生のときだったかも知れません。)課題は4拍子4小節程度の簡単なものでした。タンタンタタタン、タンタンタンウン、タンウンタンウン、タンタンタンウン。みたいな超単純なもので、リズムさえ覚えてしまえば誰でも何の問題もなくできるようなものでした。家に帰って一応練習してみようとしましたが、1.2度やってみてその必要はないとわかりました。こんなんでテストになるのだろうかと思いました。ボク以外の人にとっては楽勝です。こりゃあテストではボクの一人負け間違いないこと請け合いでした。

テストは、あまり時間がないから二人一組でやると先生は言いました。いや、これにはボクはビックリ。どうやったらいっぺんに二人もの音を聞き分けられるんだろうと先生には感心してしまいました。先生は、二人のリズムを合わせる必要があるからと、メトロノームを取り出し、それに合わせてテストをすることになりました。先生がセットしたリズムは、ボクが自分のペースでたたくリズムよりもかなりゆっくりとしたリズムでしたが、1度合わせるとすぐに慣れました。

ボクの順番はかなり後ろの方でした。どうせダメだからとあきらめている気持ちはありましたが、それでも自分の順番が近づいてくると緊張してドキドキしてきました。いっしょにやる相棒に「ドキドキするね。」と言うと、相棒は、余裕シャクシャクで「全然。」と答えました。自信のある人はいいなあとうらやましくなりました。

案の定、ボクと相棒の音はズレていました。いや、でもズレてたのはボクのほうじゃありません。相棒の方です。そのおかげでボクの方のは、ほぼ完璧に聞こえました。運がよかったです。相棒がミスってくれたおかげで、ボクは助かりました。(もしかしたら、メトロノームの音があったので、それに合わせて自然にタイムラグを調整できていたのかも知れません。)ミスった相棒のことはちょっと気になったのですが、相棒は太っ腹のようでミスったことなどまったく気ににしていないようでボクは感心してしまいました。

なんとか無事テストを切り抜けたことで、しかも運に恵まれて予想以上の好結果に終わりホッとしたことで、ボクには残りの人のテストを聞く余裕がでました。それまでは他の人の音を聞く余裕などボクにはまったくありませんでした。ボクの後にはもう3,4組しか残っていませんでしたが、聞いてみてビックリ。大半の人はボクの相棒と同じ程度にリズムがズレていました。中には、信じれれないようなまったくひどいリズム音痴もいました。しかも、みんな自分のリズムがズレていたことに気が付いていないようで、「ねえねえ、私どうだった?」とか聞いています。ふと気が付くとボクの相棒も「こんなテスト、楽勝だったぜ。」みたいなことを言っているのが耳に入ってきました。別に相棒は太っ腹だったってわけじゃあなかったんだと理解できました。つまりは自分のリズムがずれていることがわかっていなかっただけのことなんです。なるほどね、そういうことだったのかい。最後に、みんなで合奏してその日の音楽のテストは終わりましたが、そのときもみんなはやはり自信たっぷりに平然とカスタネットをたたいていました。まったくひどいリズム音痴も、むしろ他の人たちよりも自信たっぷりにたたいていました。

それでカスタネットを使っての音楽の授業は終わりました。ボクはカスタネットの苦手感は克服できないまま、その後、自分からカスタネットをたたくこともなく、カスタネットは道具箱の中に埋もれたままとなりました。高学年なってからふと、成長した今となっては、ひょっとしてもうカスタネットがうまくたたけるようになっているかも……と思い、ちょっとたたいてみたことがありましたが、やはりタイムラグの問題はそのまま残っていて、以後カスタネットに触ることはありませんでした。たぶん今でもカスタネットは苦手なままでしょう。

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2011年3月15日 (火)

小学生の時のこと

先日、と言ってももう去年のことなのですが、ある小学生の子から、ボクの子供の時の夢はなんだったかと尋ねられました。そういえば小学生の頃は歌手になれたらいいなあと思っていたことを思い出しました。小学生の頃のボクは、音楽の授業が嫌いで、音楽のある日はそのことで朝から憂鬱な気分になっていました。でも、一人で歌ったり楽器を弾いたりすることは好きでした。音楽の成績も、授業が嫌いだった割にはかなりよかったですね。

小学生の頃、タッちゃんという友達がいて、タッちゃんは4年生になるときに市内の別の小学校に転校してしまいましたが、それまでは毎日一緒に遊んでいました。そのタッちゃんがあるとき、突然、ボクに、
 「○○君(ボクのことです)、いつもいつも歌ばっかり歌ってるのやめてくれないかなあ。」
と言いました。ボクはいつも歌を歌ってばかりいると言う意識はなかったので、そう言われてちょっと驚きましたが、そういえばちょっと前には確かに歌を歌っていました。そんなにいつも歌ってばかりいるのかなあという疑問はあったのですが、それよりも、そのときもう一つ頭に浮かんだ疑問の方を口にしました。
 「何で?」
タッちゃんは、
 「だって、○○君、女の子みたいな声で歌うからボク恥ずかしくなっちゃうじゃん。」
と言いました。ボクはそれを聞いて、周りに誰かいてボクの歌を聞いていたのかと驚いて思わずキョロキョロしましたが、周りには誰もいませんでした。ボクだって知らない人がいるところで歌うのは恥ずかしいですよ。ボクが『女の子みたいな声で』歌っていると言われたのには少なからず驚きましたが、そのときも、もう一つ頭に浮かんだ方の疑問を口にしました。
 「なんで、タッちゃんが恥ずかしいんだよ。」
だって、歌っていたのはボクなんだから、人に聞かれて恥ずかしいのはボクの方だと思ったからです。そのときタッちゃんがなんて答えたのかは覚えていません。たぶん、そのときタッちゃんはうまく説明できなかったのだと思います。そのときには、どうしてタッちゃんが恥ずかしいのかボクにはまったく理解できませんでしたが、今はなんとなくそのときのタッちゃんの気持ちはわかります。

もうとっくに忘れていたことだったのですが、前述の小学生に尋ねられたことがきっかけでこのことを思い出しました。尋ねた小学生には、
 「歌手になることだったかな。」
と答えましたが、そしたら、その小学生は、
 「それじゃあ、夢は叶わなかったんだ。」
と言いました。ボクは内心、(しまった、そういうことか。)と思いました。そんなことだとわかっていたなら、今の職業でも答えておいて、努力すればどんな夢だって叶うんだよと言ったのに……と。ボクはちょっとうろたえて、小学生の頃のことだからとか、その後いろいろ夢も変わったからとか、ナンだカンだと言い訳をしましたが、もう言ってしまった事は取り返しがつきませんでした。

その後、どうして歌手になりたいという夢を捨てたのかとじっくり考えてみました。理由はいろいろとあったと思いますが、最大の理由は、ボクが現実的だったからだと思います。中学生の時には高校受験、高校生の時には大学受験が控えていましたので、ボクは完全にそちらの方向に向かっていました。おかしなことに、ボクは歳をとった今の方がかえって理想主義的になっています。以前、母に、教育を受けさせたせいでボクが頭でっかちになってしまったと現実を知らない理想主義者のように指摘されたことがありますが、確かにそういうことかも知れません。もしかしたら、目の前に控えていた受験という現実が終わったことで、理想主義に転じたのかも知れません。

中学生になって、声変わりをして、高い方の声がでなくなってしまったことも歌手の夢をあきらめた原因の一つでしょう。もともと低い方の声はあまり出ないボクは、高い方の声も出なくなってしまってうまく歌えなくなったことに、当時かなりのストレスを感じていました。(今でもなお、そのストレスは続いていますが。)

今、若い人たちは就職氷河期でだいぶ苦労しているようです。理想と現実の間のギャップにもがいている人もいるでしょう。そういう人たちを見ていて、もし今のボクが過去のボクだったら、歌手になるという途方もない夢もあきらめなかっただろうかと考えました。当時のように何もしないでただあきらめてしまうのではなく、少なくとも挑戦だけはしてみたかも知れません。それとも、それでもまだなお、現実的な道を選んだかも知れません。しかし、やってみてダメなら諦めがつくってもんです。

今、ボクはBECKとか バンデイジなどの音楽関係の映画(のDVD)などを見たり、たまたま路上ライブなどを見たりする度に、血が騒ぐというか腕がうずくというか、うずうずしてきて、いても立ってもいられないような気分になってきます。よくわかりまませんが、このウズウズ感は押さえることができません。でも、いても立っていられなくなり、急遽ギターを取り出してみると、やはり高い方の声が出なくてストレスを感じるんですよね。


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